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今では盛岡市のベッドタウンとして成長を続ける矢巾町
どのような歴史・文化があるのでしょうか?





矢巾町の歴史と文化≪概要≫

今の『矢巾町』としての始まりは1966年に遡ります。
1955年に煙山村、徳田村、不動村の3村が合併してできた『矢巾村』が町制移行し、『矢巾町』が誕生しました。

面積は約67㎢と小さな町ですが、高度成長期以降は岩手県の県庁所在地である盛岡市のベッドタウンとして、人口の増加が進んでいます。
古くから穏やかな農村地帯でしたが発展と共に、農村部と駅周辺の都市部が融合したコンパクトな町として成長を続けています。
平成22年時点の国勢調査では、岩手県下一の人口密度を誇るほどになりました。
2024年現在でも駅前に大手家電量販店の開発が進むなど、今なお発展を続けています。

そんな成長を続けている矢巾町ですが、史跡が豊富なのも特徴の一つです
縄文時代の遺跡が多く存在する他、国指定の文化財である『徳丹城跡』もあります。
『徳丹城』は弘仁3年(812年)頃に征夷大将軍である「文室綿麻呂」によって作られた律令制最後の城柵です。

現在、地上には何も残されていない状態ですが、発掘調査から様々な情報や遺物が発掘されています。

特に2006年には井戸跡で国内初となる木製の冑が発掘されました。
史料には木製冑の存在は確認されていたものの、木材は腐食しやすいため出土した例がありませんでした。

徳丹城跡の隣には矢巾町歴史民俗資料館・南部曲り家を併設しており、史跡公園として現在も整備が進められています。
ちなみに矢巾町のゆるキャラは、『徳丹城』を建造した文室綿麻呂が矢巾町をPRするために、1200年ぶりに現代に帰ってきたという『わたまろくん』です。


岩手グルメももちろん堪能することができます。

盛岡3大麺をはじめ、遠野ジンギスカンを味わえるお店、お手頃価格で岩手の海産を味わえるお寿司屋さんなど、飲食店も粒揃いです。

また、盛岡ソウルフードでもある『福田パン』の矢巾店もあります。
圧倒的ボリュームともちふわのコッペパンが魅力で、お手頃価格の入寮者にも人気のお店の1つです。

現代と過去がコンパクトに収まっている矢巾町。
そんな魅力溢れる土地に受け入れてもらって、東北グレイス・ロードでは日々ギャンブル依存症からの回復を続けています。


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